点と線 再び邪悪について

 前世、今生、死、死後、そして来世。

 私は何故、今この人生を旅しているのだろう?

 生まれてから何年もしていろんな体験の中で、人生はこの一度きりではなく、永遠に続いていると知った。それは、永遠から続いていて、死後も永遠に続いてゆきます。

 今、日本人として生まれ、毎日を過ごしています。自分の周りに眼を向けると、様々に人がいて、家族、近所、職場、民族、国家、世界へと繋がってゆきます。

 自分が他人から侮辱されれば頭にもくるし、自分の国が他国から同様にされれば腹に据えかねる事もあるでしょう。

 新聞やニュースを見ると、我々はそのメディアの主観に影響され、時に感情を巧みに揺さぶられて、あたかも自分の客観であるかのような錯覚に陥る。

これは他人も同じであって、同様に他国の人も同じです。

 では、どこに真実はあるのか? ここで改めて思い出すのは、自分もまた霊であるということです。すべての人はそれぞれに目的と目標を持ってこの地上に生まれてきます。ならば、今の自分の五感を通して入ってくるこの情報や体験は、霊としてどう捉えたらいいのだろうか。人にとっての真実とは一体何なのだろうか。

 もともとは霊としての存在である私たちは、今世の前にもおそらくは前世があります。そしてまたいつか自分で決めた頃に死を迎えて帰ってゆき、霊界に戻り再び霊的な成長を求めて、類魂の一部として、様変わりした性格、性別、人種、国家に再生します。

 その生まれた環境により、価値観は少しずつ異なりますから、真実として感じるものは同じではないかも知れない。だが、人として霊として本来的に求めるものは同じであろうと私は考えます。

 人が善悪を考えるとき、神様ではないから絶対的な善悪で人が人を判断することは出来ません。人のなす事は相対的に比較して、論理的に事実から積み重ねて、そして人として霊として正しいかどうかを考えるべきだと私は考えます。

 マスメディアは今日ではおよそ何かの陣営からの影響下にあります。一つのメディアを通しただけで、すべてを正しいと安易に捉える事は危険な事です。現代は日本を含み、ソフトパワーと呼ばれる見えにくく巧みな世論工作により、知らぬ間にある一つの陣営に対する印象が操作されて、それに反する言論は圧力を伴った自己検閲によって封殺されることが多くなっています。

 政府もマスメディアも共に情報操作を行っていて、ある事への賛成側と反対側については、マスコミが悪者扱いする割には人権が侵されている訳でもなく、むしろ反対する勢力を巧みに支援する勢力は大元で人権活動の妨害抑圧と、拷問虐殺を行っている場合もあります。現実問題として確かにこの構図は存在しており、現在進行形なのです。

 地上の人生で遭遇する事柄はこれほど大きなものでもない場合がほとんどでしょうが、物事は一つのことばかりに眼を向けずに、相対的に比べて、理性で判断することが大切だと捉えます。その上で、表に隠された部分に、人の命や善なるものに対抗する邪悪な存在があるのだとすれば、それに対して、意識的、無意識的にせよ眼を向けようとせず、見過ごしてしまうことは正しい在り方とは言えません。

 全体としてある一つの立場からのみ善悪を論じて印象を誘導しようとする流れを感じたなら、そこで一歩踏みとどまって考えてみることが大切なのです。

 毎日、五感に入ってくる情報はその時の地上人生を生きる上で、様々な影響を与えるものです。事実として何が起きているのか、本当は何が正しいのかを、自分なりの時間と労力で理性的に判断することが必要です。恣意的なもの、意図的なもの、何かが隠されているように感じるならば、決して疑問をそのままにしないことです。

 邪悪の存在をそのままにして、出来ることをしないでやり過ごしてしまうのは、邪悪に加担してしまっている事と同じなのです。シルバーバーチも霊訓で強く触れている事でもあります。

直接に行動することが今は出来なくても、少なくとも事実を知るために目を向けて調べて確認することは出来るはずです。その一歩を踏み出しましょう。

 霊としての人生は、今世の旅で終わるものではなく、いずれ訪れる肉体の死を境にまた幽界霊界へ戻り、さらに次の再生に繋がってゆくものです。私とて次に再生するときは、同じ日本人として産まれることは有り得ないと思いますし、今の地上人生の反省点を補って霊的に成長を計れるための組み合わせを新たに選択するはずです。

 人生とは、地上と霊界を永遠に結んでゆく長い旅なのです。いつかは地上に再生する事のない進路になるのかも知れません。地上の人生は長くても百年くらいです。霊界幽界と地上の人生はちょうど点と点を線で結んでゆくようなものとイメージしています。

 今世で霊的真理を知り学んでいるこんにち、少しでも多くの方に霊的な意識と利他的な生き方の大切さを知ってもらいたいと願っています。

 同時に、人類の暮らすこの地上に現在進行形で行われている、国家として行われている抑圧、弾圧、暴力、拷問、殺人を為す大きな邪悪の存在について、是非とも目を向けてもらいたいのです。

 私にしても知ることから、次の段階については如何にすべきかを常に考えあぐねているところです。しかし、だからといって邪悪なものをそのままにしておく無為な態度でいることには耐えられるものではありません。

千万人いれども我ゆかん。義を見てせざるは勇なきなり。と、昔から言われます。霊的に何が正しい事なのかを、今改めて思い起こして、地上の旅を続けてゆきたいのです。

 いかなる人もすべて点と線を結んでゆく霊としての長い人生を歩んでいますが、ただの線で結んでゆくのではなく、意味のある点と線にしてゆくことが如何に大切なのかを最近特に感じているところです。邪悪をそのままにしてはいけないのです。

点と線 再び邪悪について」への2件のフィードバック

  1. 良く拝見させて頂いております。シルバー・バーチの霊訓に救われたものです。65歳 この地上にはあと数十年棲息予定。その時が来たら「あ~ こんな苦しい地上人生 やっと霊界へ行けると」  

    今世での苦難・困難  いいカルマ清算させて頂き 「ゴッツアンでした」と喜んで感謝しながら 野垂れ死にしても構いませんが 一人ヒッソリ あちらに安らぎの世界に行きたく思います。

    何処で死んで どのような死に方するなんて 敢えて口にする程の事ではありません。
    もう不安も恐怖も ありません。 怖いのは摂理に反したこと(毎日ですが)。
    霊的知識を出来るだけ学び、そして己の霊体を微力ながらも上げて類魂への手土産にもっていきます。

    追伸)清水様の生い立ちは私と良く似ている境遇です。
    突然失礼をしました。貴方のご活躍をお祈りしています。

    1. コメントありがとうございます。
      肉体と霊とのせめぎあいの毎日で悩み苦しむものです。
      霊としての人生は永遠に続きますから、霊界に戻ったときに、守護霊さんや高級霊の方々に怒られないようにしたいものですね。

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