この世の未練

 人は毎日の生活を当たり前のように暮らしています。でもいつかは誰もが人生を終えます。

 私はこのサイトで、人はもともと霊であり、肉体は地上を旅するための道具であることを述べています。いつか必ず肉体は機能を失って、死を迎えて、霊のみに戻る時を迎えます。

 さて、それでは死ぬ瞬間とは何なのでしょうか。これまでに私も誰しもが何度かの前世を経験して、その都度に死を経験しているはずです。

 ただ、今の自分は過去に死を通過したことについては、一切の記憶は無くなっています。いちいち前世の死の記憶を覚えていては、毎日の暮らしがやりにくくてかないませんが、記憶をなくして未体験の状態でいることも、また期待と不安の入り交じったものになります。

 自身が霊的な真理に触れるはじめから、折に触れて、国内外の臨死体験の話を読んできています。傷病で昏睡状態にある瞬間や、明らかに脳死状態の間、肉体を離れて霊になって、地上を眺めたり、霊界幽界を訪れることの出来た人は数多くいます。死に至るまでは確かに状況により痛みや苦しみはあるようですが、ある程度になると霊は離れ始めるので、肉体が勝手に悶えているだけのようでもあります。

 個人的な感覚で言えば、注射をされるときのようなものでしょうか。針が刺さる瞬間まではどきどきしますが、刺さってしまうと少しは痛いのですが、刺さる瞬間は通過しているので、少し落ち着きを取り戻してきていて、針を抜かれて止血を始める頃には、最初の感覚はどこかへ行っています。死を迎える前後、老衰のような緩やかなものでなければ、きっとこんな感じなのかなと勝手に想像しています。

 人の身体は病気や怪我、老化で、劣化してゆきます。最近、自分も調子の良くないときがあって、ふと「この身体もやはりいつまでも使えるものではないし、壊れるときは選べないのだろうな」と感じることがしばしばありました。

 睡眠中に霊として幽界霊界を訪れているときは、多分いつ死ぬことにするかを霊界の人達と話しているのかと思いますが、目覚めている間はつゆ知らずです。きっと霊的なつじつまは合うようにして地上を去ることになるのでしょうが、地上に残る人達はそのために苦しい目に遭うこともあるのでしょう。

 霊的には苦しみも意味があることはわかっていても、なんだか心配になってしまうのです。こんな風に思うから、きっと「草葉の陰から見守る」なんて言葉もあるのでしょう。

 しかし、いつ死んでしまうにせよ、一番の心残りは「果たして自分はどれだけ霊的に成長できて、どれだけ人の役に立つことを出来たのだろうか?」という事です。霊的真理に意識が目覚めていることは、生まれる前に目標とした事をおよそ自覚できていることになります。それであるからこそ、死ぬということを自戒的に捉えてしまうので、こんな毎日で本当にいいのかな、と折々に思ってしまいます。

 自分が産まれて、今日まで様々な体験を経て、霊的真理に巡り会っていると言うことは、思い返すと偶然のような必然が数多く重なってきているからだと確かに思います。一つ一つの出来事に確かに合点がいくのです。自分は霊的真理に出会うことをこの人生の必要条件のしていたであろうことは確かなのです。

 であるからこそ、あと何年、何十年と生きるのか分かりませんが、限られた時間を果たして自分はかなり無駄にしているのではないかと、常に疑問と不安と焦りが胸に湧いてくるのです。

すべての人には内なる神様が宿り、霊としての可能性を皆が秘めています。いまこの世界はグローバルから個人のレベルまで、技術ばかりが巾を効かせて、霊的なことに意識を向ける人は殆ど無いような世界です。ですが、アスファルトを草木が砕き、いつしか緑の森に変えてしまうように、必ずこの人類は霊的に成長した新しい段階に進むと信じています。

 その時のためにはかなり小さな貢献なのでしょうが、生きているうちに成果を期待せず、自分に出来ることを、出来るときにし続けるしかないのです。たぶんまた同じようなことをする人生を選んで、生まれ変わってくるのかもしれません。捨て石となり、何度も人生を送るのでしょう。

 死ぬときに自分は果たして未練無く地上を去ることが出来るのか、胸を張って霊界に戻ることは、どうあがいても出来ないでしょう。せめて前のめりのまま地上を去ることが出来ればと願います。

ここまで書いてきて、ふと思い出したガンジーの言葉を紹介して終わります。

明日、死ぬと思って生きなさい。

永遠に生きると思って学びなさい。

幸せとは、あなたが考えることと、

あなたが言うことと、あなたがすることの、

調和が取れている状態である。

重要なのは行為そのものであって、結果ではない。

行為が実を結ぶかどうかは、

自分ではどうなるものではなく、

生きているうちにわかるとも限らない。

だが、正しいと信じることを行いなさい。

結果がどう出るにせよ、何もしなければ、

何の結果もないのだ。

(by マハトマ・ガンディー)

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