その先の世界

人は死んでも無にはなりません。

消えてなくなることもありません。

もちろん自殺しても何の救いにもなりません。

見てきたことがあるのか、と聞き返す人もいます。

自分が実際に見聞きするまでは信じないという、不可知論者の方もいますし、この世だけだという唯物論者もいます。

私が、人生は死を挟んで永遠に続くと信じるのは、シルバーバーチの霊訓を中心として、地上と幽界 霊界、肉体と霊魂の存在を読み取り学び、理性で納得できたからに他なりません。

何か特定の宗教組織に加わり教義教説として学んだ訳では決してありません。これまでの人生の流れの中で、縷々転々と心と精神がさまよい、そして理性を持って知り得た事を基にして語っています。

今から170年ほど前頃から霊魂、死後の世界の存在を裏付け証明する知見、試みが数多くなされており、数多くの例で実証されています。また、何の繋がりもない臨死体験者同士の話す死後体験に国地域を超えた共通点がたくさんあるのもその一つです。

見なければ信じないと考える不可知論者は、見ないのでなく、自分で調べて確認しようというアプローチを放棄しているだけです。自分が見ていないからではなく、これまでの事実に照らして理性で考え確かめるべきなのです。

死後の世界についてそれぞれの教説に都合の好いように解釈して、組織としての利益に寄与するようにしか扱ってこなかったほとんどの宗教組織にも原因があります。

人はもともとは霊魂であり、自らの霊的な成長のためにこの地上に肉体を得ます。個々人の地上で果たす目的目標の達成 如何に関わらず、乗り物である肉体はやがて劣化して生物学上の死を迎えます。

しかし、死に際して霊魂は肉体を脱ぎ捨てただけに過ぎず、再びもと来た世界へと戻ってゆきます。そしてそれぞれに適した幽界 霊界で地上の経験と成果を省みて、さらに成長を目指してゆきます。

多くの人は自分のなした業(カルマ)を清算するため再び地上に生まれ変わる事を選びます。それは、さらに霊的な成長を遂げるためでもあります。

やがてある程度の成長を遂げた霊は特別な目的のある場合を除いては生まれ変わることはなく、霊界で更に高い境遇を目指して歩んでゆきます。

同じような説明はこれまでもしていますが、人生とは、このように極めて単純明快です。 人は霊であり、人生は永遠なのです。

本当なのかといぶかる事もあるでしょう。しかし、人間の科学がすべてを解き明かしているわけではないのと同じく、霊界 幽界とは人知を超えた世界なので、この地上の言葉ではまだ説明し表現できるものではないのです。

人は電力を発明する前に、今日のような様々な電気を用いる道具を見たとしたら、それがなぜ光り動き走るのか理解できないでしょう。それと同じことです。江戸時代の人にスマホを見せても、一体何の事がわかる人は果たしているでしょうか。それと同じです。

科学ではまだ未知の領域のものもあり、それにより心霊現象として目の前で何かが起きたとしても、科学的に説明できないからと言って、確かに実証された事実を否定することは科学的ではありません。未知のものを、受け取る側が自分の利己的な都合で否定するとしたら、地動説を唱えたコペルニクスを裁判にかけた当時の学者達と同じ過ちを犯すことになります。

この地上で過ごす時間は、すべて肉体を持つ霊として、霊的に成長しカルマを清算するための経験と実践の旅です。

このサイトのタイトルに掲げている、「 Be in the World, But Not of the World 地上を旅するものであれ、地上の住人となるなかれ」 という言葉は、聖書には書かれていませんが、実際にナザレ人イエスが語った言葉だと言われています。

地上の人生が霊としては、つかの間のものであると理解すれば、肉体を得て暮らす間に大切にすべき価値観は何であるのかはおのずと明らかになります。

シルバーバーチに限らず、多くの霊訓で語られるように、自分のエゴのためではなく他人のためにどれ位に自分を役立てることができたか、肉体的な本能でなく霊としてどれだけ世界を捉えることができたか、ここに集約するのです。

世界の人々、国家、民族が、利己主義 排他主義 利益効率第一主義でなく、利他愛による寛容と思いやりの精神で暮らせたら、紀元前から延々と続く醜いこの世界も違ったものになるでしょう。今日の地球温暖化による絶望的な未来も変わるはずです。

死の先に霊としての世界があり、誕生の前にも霊としての生活があること、今のあなたの人生は肉体を道具とした霊としての旅なのだということに、どうか意識を向けて下さい。

この地上を生きる本当の意味をすべての人が理解して暮らすなら、そこは別に物やお金や権力、肩書きなど無くても、戦争や策略でお互いが奪い合う必要など無い、お互いが与え合う十二分に幸せな世界なのです。

もうすでに人類は産業革命を経て爆発的な拡大を遂げて、ついに地球環境を激変させるほどの過ちを犯してきました。行いには心がなければなりません。これまでの人類の在り方には利己主義しかありませんでした。

人類がこれから二十一世紀の半ばから後半へ向けて歩むためには、自らを霊であると認め、お互いに与え合う心、それこそが私達人類に必要なのです。

一人でも多くの人が、霊的な意識を持って、利他愛を実践しようとする事で、そして霊として生きているのだと認識して暮らすことで、カタツムリのようにゆっくりではありますが、確実に未来は変わるはずです。私はそう信じています。

あなたの心に少しでも希望と愛が生まれますように。

世界に愛と平和が訪れますように。

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